この記事の要点
- 先斗町は鴨川と木屋町通の間、四条と三条をつなぐ幅二メートルほどの石畳の通りである。
- 夏の「川床(ゆか)」は、河川管理と景観条例の両方に縛られた季節限定の構造物だ。
- 観光の集中と住民の生活が、同じ路地のなかで時間帯ごとにせめぎ合っている。
- 歩くと、料亭の格子と新しいバーの看板が一軒おきに並ぶ「層」が見えてくる。
午後四時の先斗町は、まだ眠っている。木屋町通から細い路地へ一歩入ると、外気が二、三度下がったように感じる。石畳はまだ乾いていて、打ち水の跡だけが点々と残っている。看板の電気は半分が消えていて、格子戸の奥から出汁を引く匂いがかすかに流れてくる。私はこの通りを、開店前のこの時間帯にだけ歩くことにしている。人の波が来る前の先斗町は、観光地ではなく、ただの仕事場の顔をしている。
先斗町は四条通から三条通へ、鴨川に沿って南北に伸びる。京都市の公開資料によれば、この一帯は江戸期に茶屋町として整備され、いまも石畳と町家の連なりが残る区域として景観上の規制がかけられている。通りの幅は最も狭いところで二メートルを切る。傘を差した人どうしがすれ違えない。だから雨の日は、誰もが軒先で半歩だけ譲り合う。
川床という季節の建築
五月になると、鴨川側の店が一斉に「床(ゆか)」を組み始める。川の上にせり出した木の台のことだ。京都新聞の報道では、この川床は河川区域に設けられるため、毎年五月から九月までの期間限定でしか出せず、組み立てと撤去の日程まで申し合わせがあるという。つまりあれは恒久的な建物ではなく、夏のあいだだけ現れて消える、季節の建築なのだ。
床の高さは川面から数メートル。下を覗くと、鴨川の浅瀬で子どもが石を投げているのが見える。上では会席のコースが運ばれ、下では誰かが裸足で川を渡っている。この上下の落差が、先斗町の夏をいちばんよく表していると思う。鴨川のデルタで人が等間隔に座る光景と、この床の眺めは、同じ川の別の表情だ。
一軒おきに変わる時代
歩いていて気づくのは、店の「層」だ。創業百年を超える料亭の格子戸の隣に、去年できたばかりのナチュラルワインのバーがある。その隣はまた古い茶屋建築で、さらに隣はコーヒースタンド。一軒おきに時代が入れ替わる。京都市観光協会の資料でも、先斗町は伝統的な茶屋街でありながら飲食業態の更新が速い区域として紹介されている。家賃と間口の狭さが、入れ替わりの速度を決めているのだろう。
午後五時を過ぎると、路地の空気が変わる。提灯に火が入り、打ち水がもう一度撒かれる。さっきまで静かだった石畳に、下駄の音と、スーツケースの車輪の音が混じり始める。下駄の音は店へ向かう人のもの、車輪の音は宿を探す人のものだ。同じ二メートルの幅を、まったく違う目的の人が共有している。
もっとも、この共存はいつも穏やかというわけではない。狭い路地に観光客が滞留すると、配達も、住民の帰宅も止まる。撮影の可否をめぐる掲示が増えたのも、ここ数年のことだ。裏を返せば、それだけこの通りが「見られる場所」になったということでもある。
暗くなってからの顔
七時。提灯の列が水面に映って、石畳が濡れて光る。私は通りの北の端、三条側の出口に立って、南を見下ろす。提灯が一直線に並び、その下を人影がゆっくり流れていく。料亭の女将が暖簾を直し、若いバーテンダーが看板を外に出す。古い建築の骨組みのなかで、新しい商売が回っている。
先斗町を「古都の風情」とだけ呼ぶのは、たぶん正確ではない。ここは、季節ごとに床を組み直し、一軒おきに業態を入れ替えながら、二メートルの幅をどうにか保ち続けている、現役の通りだ。変わらないのは石畳の幅と、川が隣にあるという条件だけ。その制約の上で、何を載せるかは、毎年少しずつ書き換えられている。古さと新しさが対立しているのではなく、同じ細い回路を時間差で使っている——先斗町を歩いて残るのは、そういう感覚だ。
参照
- 京都市公式サイト「景観・まちづくり」関連公開資料
- 京都新聞「鴨川納涼床」関連報道
- 京都市観光協会 地域紹介資料
