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工芸と手仕事

清水焼の窯 — 「決まった土はない」という器

2026.06.01 読了 約3分 KyotoParallel 編集部

この記事の要点

  • 京焼・清水焼は、特定の土や様式に縛られない「京都で焼かれた陶磁器」の総称である。
  • 五条坂から清水寺へ続く坂は、かつて窯元が密集した区域だった。
  • 登り窯が市街地で使えなくなり、生産の場は郊外へ移っていった。
  • 窯元の世代交代のなかで、用途と価格帯の見直しが進んでいる。

「うちの焼き物に、決まった土はないんですよ」。五条坂の近くで小さな窯を続ける作り手は、最初にそう言った。京焼・清水焼とは何か、という問いへの答えがそれだった。京都市の伝統産業資料でも、京焼は特定の産地の土や一つの様式を指すのではなく、京都で作られた陶磁器の総称だと説明されている。有田や備前のように土地の土に縛られない。むしろ、各地の土や技法を取り寄せ、注文に応じて作り分けてきた歴史がある。

「だから何でも作る。茶碗も、皿も、置物も。注文主が公家や寺だった頃から、相手に合わせて変えるのが京都の焼き物の癖なんです」。彼の言葉を聞いて、錦市場が客に合わせて品揃えを変えてきた話を思い出した。注文に応じて姿を変えるという点で、焼き物も市場も同じ気質を持っている。

坂から消えた窯

五条坂から清水寺へ上る坂道は、かつて窯元がひしめいていた。「子どもの頃は、坂のあちこちから煙が上がってた」と作り手は言う。だが、登り窯は大量の薪を燃やし、煙を出す。市街地では、環境の面からも住宅の密集からも、それを焚き続けるのが難しくなった。

「窯は山科や、もっと郊外へ出ていった。ガス窯や電気窯に替えた人も多い。火の管理は楽になったけど、登り窯でしか出ない色もある。そこは正直、失ったものもある」。彼はそう率直に認めた。技術の更新が、すべてを救うわけではない。新しい窯は安定するが、偶然に頼る古い窯の表情は再現しにくい。

誰に売るかが変わる

毎年八月、五条坂では陶器まつりが開かれる。京都市観光協会の資料によれば、これは坂の窯元や陶器商が露店を出す市で、夏の恒例として続いてきた。「昔は料理屋や旅館がまとめて買いに来た。今は観光客が一個ずつ買っていく。だから、手に取りやすい値段と大きさのものを増やした」。

ここでも、買い手が料理人から「歩く人」へ移っている。作る側は、その変化に合わせて、業務用の大皿から一人暮らし向けの小さな器へと重心を移す。「不本意かと聞かれると、そうでもない。京都の焼き物はもともと注文主に合わせるものだから。客が変われば、作るものが変わる。それだけのことです」。

工房を出るとき、彼は焼き上がったばかりの湯のみを一つ持たせてくれた。手のひらにのせると、まだかすかに温かい。釉薬のむらが、光の角度で表情を変える。「同じものは二つできない。窯の中の位置で色が変わるから」と彼は笑った。

京焼を一言で定義できないのは、欠点ではなく、たぶん本質だ。土も様式も固定せず、注文主に合わせて変わり続けてきたからこそ、買い手が観光客に替わった今も、その器は柔らかく形を変えていける。窯が坂から消え、火がガスに替わっても、「相手に合わせて作る」という気質だけは坂に残っている。失われたのは煙であって、考え方ではないのだろう。

参照

  • 京都市公式サイト 伝統産業(京焼・清水焼)資料
  • 京都市観光協会 五条坂陶器まつり紹介資料
KyotoParallel 編集部 編集メディア「京都パラレル」編集部