この記事の要点
- 藍染めは、植物の藍を発酵させた「藍建て」によって布を青く染める技法である。
- 染料は生き物のように発酵を続けるため、毎日の温度管理が欠かせない。
- 「ジャパンブルー」という呼び名は、明治期に来日した外国人の記述に由来する。
- 合成染料の普及で一度は衰えたが、手仕事としての価値が見直されている。
藍の甕(かめ)を覗き込むと、表面に金属のような光沢の泡が浮いている。「藍の華」と呼ばれる発酵のしるしだ。染め場に入った瞬間、独特の匂いがする。土と、わずかな酸と、植物が発酵する匂い。これが、布を青く染める液の匂いだと知ると、青という色の見え方が少し変わる。藍は、絵の具のように塗る色ではなく、生きた液に布を浸して育てる色なのだ。
藍染めの核心は「藍建て」にある。文化庁の工芸関連資料によれば、藍の葉を発酵させて作った「蒅(すくも)」を、灰汁などと合わせて甕のなかで再び発酵させ、染められる状態にする工程を藍建てと呼ぶ。この液は微生物の働きで成り立っているため、生き物に近い。温度が下がれば働きが鈍り、放っておけば死ぬ。染め手は毎朝、甕の状態を見て、必要なら養分を足す。布を染める前に、まず液を生かし続ける仕事がある。
青を重ねる
布を液に浸して引き上げると、最初は緑色をしている。それが空気に触れる数十秒のあいだに、酸化して青へと変わっていく。緑から青への変化を目の前で見ると、染めているのではなく、化学反応に立ち会っているのだと分かる。濃い青を出すには、この浸して酸化させる動作を何度も繰り返す。一回では淡い水色、十回を超えると深い藍色になる。色の濃さは、回数という時間の蓄積でしかない。
糸を染めてから織る西陣織と違い、藍染めは布や糸を液そのものに沈める。先に色を決めるか、染めながら色を育てるか。京都の手仕事のなかには、この二つの時間の使い方が共存している。
ジャパンブルーという外からの名
「ジャパンブルー」という言葉がある。京都市の工芸関連資料でも触れられているように、これは明治期に来日した外国人が、日本の町に藍染めの衣類が溢れているのを見て名づけたとされる呼び名だ。つまり、藍を日本の色として発見したのは、半分は外からの視線だった。内側では当たり前すぎて名前すらなかった色に、外から来た人が名を与えた。
その後、安価で扱いやすい合成染料が広まり、手間のかかる天然藍は一度は産業として大きく後退した。もっとも、近年は手仕事の質感や、化学染料にはない色の深みが見直され、若い染め手が甕を継ぐ例も出てきている。町家のギャラリーで藍染めの作品が並ぶのも、その流れの一つだろう。
染め場を出ると、外の青空が、さっきまで見ていた甕の青とは違う青に見えた。藍の青は、空のように一様ではない。浸した回数、その日の液の機嫌、布の繊維の差が、すべて色のむらとして残る。均一でないことが、手で染めた証になる。合成染料が均一さで勝ったのなら、天然藍が残る理由は、たぶんその不均一さのほうにある。色を「作る」のではなく、液とともに「育てる」という時間の持ち方が、効率では測れない価値として、いま改めて選ばれている。
参照
- 文化庁 工芸技術・染織関連資料
- 京都市公式サイト 伝統産業(染織)資料
