この記事の要点
- 京都では、空いた町家を改装して現代美術のギャラリーにする例が増えている。
- 細長い「鰻の寝床」の間取りが、作品の見せ方に独特の制約と効果を与える。
- 町家ギャラリーは、ホワイトキューブとは違う「文脈のある空間」を提供する。
- 保存と活用のあいだで、改装の度合いをどこに置くかが問われている。
現代美術の展示空間といえば、白い壁と均一な照明の「ホワイトキューブ」が標準とされてきた。作品以外の情報を消し、鑑賞に集中させるための無色の箱だ。だが京都を歩くと、その正反対の空間に出会う。改装された町家のギャラリーである。柱も梁も土壁も残し、むしろ建物の歴史を見せながら、そこに現代美術を置く。
町家は、間口が狭く奥行きが深い「鰻の寝床」と呼ばれる間取りを持つ。京都市の町家に関する資料でも、この細長い平面と、奥へ進むほど暗くなる光の構成が、京町家の典型として説明されている。ギャラリーにすると、この構造がそのまま順路になる。入口から奥へ、明るい部屋から暗い部屋へと、作品が一列に並ぶ。
箱と、文脈
ここで、京セラ美術館の改修と比べてみたい。あちらは古い建物の足元を掘り下げ、新旧を上下に分けて共存させた。一方、町家ギャラリーは新旧を「同じ部屋のなかに重ねる」。土壁を背景に、現代の映像作品が流れる。古い柱の脇に、金属のオブジェが置かれる。背景が無色ではないぶん、作品は建物との対話を強いられる。
これは作家にとって、機会でもあり制約でもある。土壁の質感や、低い天井、限られた採光は、作品の置き方を縛る。だが同時に、その制約が作品に文脈を与える。何もない白い壁に掛けるのとは違う意味が、古い空間からにじみ出る。西陣織の技法を使った作品が町家に展示されると、素材と場所の出自が二重に響く。
どこまで直すか
町家を改装するとき、どこまで手を入れるかは難しい判断だ。傷んだ部分を直さなければ展示はできない。だが直しすぎれば、町家であることの意味が薄れる。京都新聞の町家活用に関する報道でも、保存と現代的な利用のあいだで、改装の度合いをめぐる議論が続いていることが伝えられている。柱を残すか、構造を補強するか、空調をどう隠すか。一つ一つが、保存と活用の綱引きになる。
もっとも、この綱引きは町家ギャラリーに限らない。窯元が登り窯をガス窯に替えたときも、銭湯が古い建物を維持しながら設備を更新するときも、同じ問いが現れる。古い器をどこまで現代に合わせるか。京都の手仕事と建築は、つねにこの問いの上に立っている。
奥の暗い部屋まで進み、振り返ると、入口の光がずいぶん遠くに見える。細長い町家の奥行きが、そのまま鑑賞の時間の長さになっている。ホワイトキューブが作品を文脈から切り離すための装置だとすれば、町家ギャラリーは作品をあえて文脈のなかに戻す装置だ。どちらが優れているという話ではない。ただ、京都という街は、無色の箱よりも、歴史の染みついた器のほうを、現代美術の容れ物として選びつつある。それは保存のためというより、作品に古い時間を背負わせることで、新しさをかえって際立たせる選択なのだろう。
参照
- 京都市公式サイト 京町家の保全・活用資料
- 京都新聞 町家活用に関する報道
