この記事の要点
- 京都市京セラ美術館は一九三三年開館で、現存する公立美術館の建物として国内最古級とされる。
- 二〇二〇年、青木淳と西澤徹夫の設計による改修を経て再開した。
- 改修は建物を壊さず、地下を掘り下げて新しい入口を作る方法を取った。
- 古い帝冠様式の本館と、ガラスの新しい入口が、正面で対比をなしている。
岡崎公園の並木を抜けると、瓦屋根を載せた重い石造りの建物が現れる。京都市京セラ美術館の本館だ。だが、近づくと足元の地面がゆるやかに下がっていき、ガラス張りの新しい入口へと吸い込まれていく。古い建物の手前の地面を掘り下げて、新しい入口を埋め込む——この一見奇妙な操作が、この美術館の改修の核心だった。
美術館の沿革によれば、本館は一九三三年に開館し、瓦屋根を鉄筋コンクリートの上に載せた「帝冠様式」と呼ばれる建築として知られてきた。現存する公立美術館の建物としては国内最古級とされる。九十年近く前の建物を、現代の展示や来館者数にどう適応させるか。それが二〇二〇年の改修の問いだった。
壊さずに、掘る
美術手帖などの報道では、改修を手がけた青木淳と西澤徹夫は、歴史的な本館の外観を大きく変えず、正面前の広場を掘り下げて地下に新しいエントランスを設けたと紹介されている。つまり、古い建物に新しい部分を「足す」のではなく、地面を「引く」ことで空間を生んだ。来館者は、いったん地下へ降りてから、館内を上がっていく。
この方法が面白いのは、古さと新しさを同じ場所で衝突させない点だ。帝冠様式の本館はそのまま正面に立ち、ガラスの新しい入口はその足元に控える。町家を改装したギャラリーが古い骨組みのなかに現代を詰め込むのとは逆に、ここでは新旧が上下に分かれて共存している。
器としての建築
館内に入ると、天井の高い旧来の展示室と、改修で整えられた現代的な空間が、順路のなかで交互に現れる。古い部屋では日本画や工芸が、新しい空間では現代美術の大きな作品が並ぶことが多い。建物そのものが、何を見せるかによって表情を変える「器」になっている。
京都市の文化政策資料でも、この美術館は市民が日常的に通える公立館としての役割と、国際的な現代美術を扱う場としての役割の両立をめざしてきたと位置づけられている。KYOTOGRAPHIEのような国際的な催しの会場になることもある。九十年前の建物が、いまの国際展の器として使われている。
もっとも、古い建築を使い続けることには負担もある。空調や動線の制約は、新築の美術館に比べて大きい。それでも壊して建て替えなかったのは、この建物自体が京都の近代の記録だからだろう。老舗が建物を残して中身を変えるのと同じ判断が、公共建築でも選ばれた。
地下の入口から外へ出ると、もう一度、瓦屋根の本館が目の高さに戻ってくる。掘り下げた地面のおかげで、古い建物を見上げる角度がわずかに変わっている。改修とは、古いものを新しくすることだと思われがちだが、この美術館が示したのはむしろ逆だ。新しい操作を加えることで、古い建物の見え方を更新する。壊さず、足さず、地面を引く。その引き算が、九十年前の建築を現役に戻した。古さを保存することと、現代の用途に応えることは、必ずしも対立しない——岡崎の地面の傾斜が、それを静かに証明している。
参照
- 京都市京セラ美術館 沿革・建築紹介資料
- 美術手帖 改修・再開館に関する報道
